BLOG
ブログ

ブログ

デザイナーの目でみるパルテノン神殿

デザイナーの呉です。過ごしやすい季節になりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
昨日の帰り道には金木犀の香りがして、ようやく秋を感じています。
前回イスタンブールについて書かせていただいたので、今回はアテネで感じたことについて書こうと思います。

パルテノン神殿について

アテネといったら、ギリシャといったら、なんといってもパルテノン神殿です。
歴史の教科書などでもよく目にするこちら世界遺産は、アテネのほぼ中央の小高い丘の上にあるため、中心地なら街のどこにいても見上げれば見つけることができます。
そのため、街中で方向を見失ってもパルテノン神殿さえ見つければおおよその位置をつかめます。

神殿の立つ丘はアクロポリスと呼ばれ、紀元前6000年ごろには人が住んでおり、紀元前400年頃にギリシア人によってアテネの守護神である女神アテネを祀る神殿が建てられました。
紀元後600年にはキリスト教徒によって聖堂となり、1460年にはオスマン帝国の支配下でモスクとなったこともあります。その際に起こったヴェネツィア共和国との戦争で大きな損傷を受けてしまいました。

ここでデザインと関わる小話を一つ。
パルテノン神殿含めギリシャ彫刻といえば”白”のイメージがありますが、「実は白じゃなかった」というのが近年話題になりました。発掘した彫刻を調べたところ、着色の跡があったのです。
ではなぜ真っ白になってしまったのかというと、発掘した学芸員の方たちがイメージにそぐわないと思って、残った着色の層を削り取ってしまったようなのです。
ギリシャ悲劇やギリシャ哲学など、すでにヨーロッパに浸透していたギリシャという文化のイメージが、カラフルな色のギリシャ芸術に合わなかったのでしょう。
実際に、残った着色層から建設当時の色を復元したパルテノン神殿の3D画像を見たことがありますが、顔料の少ない時代のせいか緑や赤などキツめの原色が多用されており、派手な印象を受けました。正直、学芸員の気持ちもちょっとわかってしまいます。
赤は情熱、青は清涼、白は気品…など、色が与える印象がいかに大きいかを考えさせられる話です。

実際に訪れて

長い間に、それぞれの人々から様々に手を加えられてきたパルテノン神殿ですが、それだけ人を惹きつける力があるのでしょう。

小高い丘と書きましたが実際に登るとなると想像以上に体力が奪われます。真夏はずらして訪れましたがそれでもアテネの日差しの強さは日本とは比べ物になりません。ドネルケバブのようにじりじりと低温で焦がされます。
そもそもなぜパルテノン神殿が丘の上にあるかといえば防衛のために他なりません。したがって気軽に行けるようにできていないのは当たり前なのですが、それでもあの長い上り坂は、有名だし行ってみようかなというノリの軽い観光客をふるいにかける役割があります。

そうはいってもかの有名なパルテノン神殿ですから、観光客の数は控えめにいってもエグいです。入場ゲートには長蛇の列ができます。並ばずに済むよう朝イチで行きましたが並びました。

実はアクロポリスにあるのはパルテノン神殿一つではありません。同じくらい大きく立派な遺跡が入口の「プロピュライア」。パルテノン神殿に負けず劣らずの風格があります。

写真のせいで遺跡より人の多さに目がいってしまいますが、長い階段を登った先に見つけたときはなかなかの感動がありました。

門をくぐり抜けると一気に視界が開け、大理石の瓦礫がゴロゴロと転がる先にパルテノン神殿が建っています。

修復作業による鉄骨が少し痛々しくも見えますが、これだけの遺跡を修復するのだと考えれば相応とも思えます。

パルテノン神殿の横には女神アテネの像が安置されていたというエレクテイオン。
入り口は「少女の玄関」と呼ばれ、頭で屋根を支える柱像カリアティードが6体並んでおり、本物は博物館に納められています。

本物の彫刻も見ましたが、柱らしい重量を感じさせない華奢な彫刻で、古代ギリシャ人の美意識が詰まっています。

そして正面からみたパルテノン神殿。大勢の観光客の姿と比べても、その大きさが伝わると思います。

大きさもさることながら黄金比率の用いられた全体のバランス感も見ていて圧倒されるものがあります。

最後に

駆け足となりましたが、いかがでしたでしょうか。

行ってみて印象的だったのは、上の写真にもある通りの修復中の姿です。旅行雑誌などでは隠されていますが、実際には神殿の内側には多くの作業員が修復作業に追われており、彼らの並々ならぬ努力によってこの見事な遺跡は維持されていることがわかります。

長い歴史の間に多くの人の手が加えられてきた神殿がまたこうして人の手によって修復されていくのだと思うと感慨深いものがあります。