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『推し活』について改めて考えさせられる本でした。

こんにちは宮本です。

以前私がFacebookの方でも紹介させていただいた三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』について書いていこうかと思います。

私自身好きなアニメ作品がありそれに関する人物やキャラクターも好きでそれらに関するイベントなどに足を運ぶいわゆる「推し活」というものをしています。

その中で私はそういったイベントなどの感想をよくSNSを中心に発信したり同じ推し活をしている人の投稿を見て共感したりそれを踏まえてまた新しい視点で推し活に励んだりしています。

そんな私がこの本を読んで思ったのが同じ推し活をしている方なのでちょいちょい出てくるエピソードがとても共感できる内容であり自身の好きなものを言語化する方法もその過程でいろんなことを考えさせられる内容で最後までとても面白かったです。

どうしてこの本を読んだのか?

冒頭にも書いた通り私には好きなアニメ作品があり、その新作アニメが放送されればサブスク含め何度も見たり映画が公開されたら映画館に何度も足を運んだり、その作品の舞台となった場所を調べてに実際に足を運ぶ『聖地巡礼』をしたりグッズを集めたりする所謂「推し活」をかれかこれ10年近くしています。その中その作品のキャラクターが本の紹介をしていているシーンがあり、そこでは実在する本が紹介されていました。

その内の一つがこの三宅香帆さんの『「好き」を言語化する技術』でした。聞いた当初は「そんな本があるんだ〜」ぐらいの感想ですぐに読んでみるまでには至りませんでした。というのも私自身恥ずかしながら技術本など読む機会はありますが小説やこういった本を読まない人だったためいくら「推し活」の一環だとしても本を読もうという気にはあまりなれませんでした。

しかし、私のSNSの所属するコミュニティーでこの本を買って読んでみた方がいてその方が「推し」がいる人はすごい共感することがある内容だからぜひ読んでほしいと大絶賛していました。私自身このアニメ作品含め「推し」というものがいるのでこの本の内容が気になり読んでみることにしました。

「好き」を言語化する機会

「好き」を言語化するのはどういう時か考えた時に一番に浮かんだのがやはりSNSです。私はほぼ毎日の様に好きなアニメに関する情報をSNSでチェックしたり、テレビでの放送や動画サイトでの配信があればその時に感じた感想をSNSに投稿をよくしています。ただ、発言の内容には気をつけてはいるものの特定の誰かに伝えるためではなく自分が思ったことをそのまま投稿しているので感情が高まりすぎて「やばい」「すごい」とかしか書いていない時もあったりします。数日前とかなら当時何があったか思い出せますが1年近く前の投稿だと自分がこの時何を思ってこの発言をしたのかが分からずただのひらがな3文字になってることが結構あります。

自分の言葉で発信するのは意外と難しい

アニメやライブをなどを見た後とかにもSNSをすぐ開いて色んな人の感想を見たり自分の感想とかを発信をしています。ただ、この時の投稿内容がありきたりというか他の人の投稿内容と似通った内容になるのが多々あります。同じものを見て同じような感想を抱いているので当然といえば当然ですが文章の構成レベルで似てしまいます。なるべく自分の言葉で発信するようにこころがけていますがどうしても他人の言葉を借りて発信してしまうことが多々あります。

本当に自分の意見?

文章や言葉だけならまだいいですが自分が自身の感想や意見そのものが置き換わってしまう経験もあります。私の場合アニメなどを見終わったあとイマイチパッとしないシーンがあった時にSNSとかでそのシーンについて何んらかの理由をつけて感動したという投稿をみるとその理由に自分の中で納得してしまい結果的に最初に自分が抱いていたそのシーンにパッとしなかったという感想はどこかに行ってしまいそのシーンに感動したという意見にすり替わってしまうことがあります。この時の理由が正当性があり本当に自分が納得する理由なら自分がそれに気がつけなかったですみますがたくさんの人が同じような理由で感動したと発信していると無理やり自分にこれが正しいと決めつけさせてしまいそれが正当な理由として納得させて自分の意見を変えてしまうことがありました。これはマイナスの意見がプラスの意見に変わっていますが同じプラスの意見でも意見が変わってしまう場合もあります。

私のもう一つ好きなラーメンで例を挙げたいと思います。

たまたま見つけたラーメン屋のラーメンがすごく美味しかったとします。特にこのラーメンは麺の食感が自分好みで一番のお気に入りポイントでした。この感想を誰かに伝えるとしたら「ここのラーメンは極太でかためでスープにもよく絡んですごく美味しいからオススメです!」という感じで発信すればいいのですがSNSやグルメサイトのレビューとかで「20年近くラーメンを食べてきたがこんな美味しいスープは飲んだことない」「店主が言ってた通りスープにはかなりこだわりを感じた」など麺ではなくスープの方に対しての評価の意見が多く。特に自分よりラーメンを食べてきた人の意見だとよりそっちが正しい意見だと感じてしまいます。実際にそのスープもレビュー通りとても美味しいです。しかし私の中ではスープよりも麺の方を評価したい。しかし、誰かに勧めるとなった時に麺よりもスープの方を推せば他人にその良さが伝わって食べてくれるかもしれない。そう考えていくうちに自分の中でそのラーメンの一番の推しポイントだった麺ではなく3番目ぐらいだったスープの方になってきてしまう。

少し極端な例ですがこのような経験がある人は意外といるのではないでしょうか。この例では他の人の意見に影響された自覚があるのでまだいいですがこういう経験があるから誰かに自分な好きなもの見て感じた純度100%の自分の意見だと思っていたものが実は知らず知らずのうちに他人の意見に影響されて変わっている可能性もあると考えてしまい胸を張ってこれが私の意見です!と自身が持てなくなってしまいます。

その問題にどう向き合って解決するかがこの本で書かれていた

この本ではタイトルにある通り自身の推しに対する感想が「やばい」「すごい」だけにならないないようにきちんと言語化するというのを目的としています。

過程で自分の感想や意見をどの様にして残し、それを自分の言葉にするかも書かれていたためSNSを頻繁に使う私にとってはそれを読んでいるだけでも多くのことを学びました。

また、この本ではプラスの意見だけではなくマイナスの意見に対しての向き合い方についても書かれており、どのようにしてそれをうまく発信するかについての話もあったのでかなり興味を惹かれる内容でした。

推し活をしていないと思っている人もぜひ

今回の話はアニメやラーメンの推し活を中心でしたが推し活というのは広い意味では自分が好きなものを誰かに推したい。おすすめしたいからその良さを他人に伝えることだと思いますので料理やスポーツ、道具など自分に好きなものがあり、それを誰かにその良さを伝えたいという気持ちがある人はそれらに当てはめて読んでみると新たな見え方ができてより楽しめる様になるのではないかと思います。

この記事を読んでみて気になった方はぜひ読んでいただきたい一冊になります。